任天堂 岩田社長の訃報で思うこと

世界は偉大な経営者、そしてプログラマーを失った。

岩田氏は同族経営だった任天堂に、異例の社長として抜擢された人物。天才的なプログラマー。経営危機を迎えたHAL研究所の社長になり、星のカービーなどを手がけ、見事会社を立て直す。取引き先の任天堂に買収され、社長にスカウトされる…というような伝説的な経歴を持つ。任天堂の社長になってからはNintendo DSとWiiをヒットさせた。

任天堂は近年、スマートフォン普及によるゲーム業界の変化から業績不振に苦しんだが、DeNAとの提携により時代の波に乗ろうとしているところ。業績や株価も回復してきた。会社にはこれから明るいニュースが次々と舞い込んでくるであろう、というときに…非常に残念なことだ。

岩田氏追悼のニュースやコンテンツはたくさんあるが、「ほぼ日刊イトイ新聞」さんの振り返りコンテンツは秀逸なのでご興味があればぜひ。

「ほぼ日」でのインタビューや任天堂本を読むと、岩田氏は優れたプログラマーで経営者であるだけではなく、優れたリーダーであり、素晴らしい人徳を持っていたことが感じられる。「こんなリーダーの元で働きたい」と思わせてくれる数少ない人物なのではないかと思う。

任天堂は僕にとって特別な会社だ。

小学校1年生の頃にファミコンとスーパーマリオブラザーズに出会っていなければ、僕はプログラマーという仕事をきっとしていない。

友人宅で出会ったテレビゲームという革命に、僕はショックを受けた。そしてどっぷりハマった。毎日のように友人宅に押しかけてプレイした。スパーマリオブラザーズ、アイスクライマー、イーヤルカンフー、エキサイトバイク、グーニーズ、スペランカー…どれも最高だった。それを見かねて両親はファミコンを買ってくれたのだ。あまりにも毎日のように通うので、人様のお宅に迷惑だと思ったに違いない(笑)

ファミコンと一緒に買ったのはドラゴンクエスト3だった。それからやはりスーパーマリオブラザーズを手に入れ、様々なソフトを友人を楽しんでいくことになる。ロックマン、メトロイド、ドラゴンボール シェンロンの謎、悪魔城ドラキュラ、火の鳥、コナミワイワイワールド、ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー…
その後の僕はゲームボーイ、スーパーファミコンも手に入れゲームにどっぷりの小学生時代を送った。

すっかりゲーマーになっていた僕が小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「コンピューターの仕事」だったと思う。

中学校以降、数学が苦手で文系に進んだが、その将来の夢はどういうわけか叶ってしまった。僕は今、プログラマーをしている。

岩田さん、素晴らしい仕事でたくさんの楽しいゲームを世に送り出していただき、心から感謝しています。本当にありがとうございました。大変な人生だったと思います。どうか安らかにお眠りください。

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