仕事をしながら音楽学校に3ヶ月通ってみて

2月に書いた前回のエントリーで

そして今年は…意識的にやることは増やしてあります。

と書いていたけれど、その答えがタイトルの通りです。 2012年4月から1年間、都内のとある音楽学校に夜間に通うことにしました。とはいえ「夜間コース」と銘打っているカリキュラムではなく1年制というだけで、通常の2年制の生徒さん達に混じってレッスンを受講しています。

なんでこんなことをしているか…という問いに答えるならば「できるうちに一番やりたいことをやっておくべき」ということに尽きます。

30歳。人並みに貯金は有り、配偶者なし。

これは今しかできない、と思ったわけです。去年の被災地ボランティアのエントリーにも書いたけれど、

If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.”(邦訳:「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」)

というスティーブ・ジョブスの言葉が自分の中に深く刺さっていて、それもきっかけの一つであったと言えます。

…一応前提として説明しておきますが、僕の趣味はエレキギターです。今もプライベートでロックバンドをやっています。学生の頃は「バンドでデビューする」ことを将来の夢として活動していたりしました。それが夢破れて、今はしがないエンジニアをしているわけです(笑)

音楽学校に通おうというのは、去年の冬、被災地ボランティアに参加したその頃から構想がありました。年末にはいくつかの学校の資料を取り寄せたり、説明会や体験レッスンに参加したりして学校選びを始めていました。そして割とすんなり行きたい学校は決定。年明けには入学手続きも済ませ、4月からめでたく入学となりました。

4月

週2日で「セオリー・ゼミ(音楽理論)」のレッスンと、「ギター・ゼミ(実技)」のレッスンに通います。その2日は会社の業務を夕方で切り上げ、学校に行き、会社に戻るという生活が基本になりました。ギターを背負って会社に行くというとかなり「変わった人」扱いされそうなものですが、弊社の自由な社風(?)に助けられ、それが苦になることはなかったです。始まったばかりということもあり、レッスンのペースも遅め。

5月からは学校で第3のレッスンが始まります。バンドアンサンブルというレッスンで、文字通り生徒同士でバンドを組み、それを先生に見てもらい、アドバイスをもらうという内容です。このレッスンのクラス分けのため、4月頭にはオーディション(?)が行われました。通常、2年制の生徒さんたちはレベル1から始まって、1年後の成果を見て2年目のレッスンのレベルが決まる、という訳ですが、1年制の生徒の場合、レベル1から始めることが適切か分からないためレベルの測定を行う必要があり、そのためのオーディションなのです。

オーディションというものを生まれて初めて体験したわけですが、これが刺激的でした。同時にオーディションを受けたのは僕含め、4名。本番30分前くらいに集合し、各自楽譜が渡されます。楽譜にはある曲の構成が書いてあり、セクション1〜4くらいに分かれています。そして「セクション1はこういう演奏で、セクション2はこれこれで、セクション3はアドリブで、セクション4は楽譜のままに演奏してください」という具合に指示が書いてあるわけです。アドリブのセクションには、コード進行が書いてあるだけで、弾くべきメロディは書いてありません。 本番までの約30分の間は、各自練習時間です。その間にスタッフの人が演奏例の音源を、3回だけ流して聴かせてくれます。僕はロクに楽譜が読めないため、これを耳コピするしかありませんでした。(耳で音程を取るのは慣れている) そして本番。試験官が3人並んでいる前でおもむろにオケが流れて、それに合わせて演奏。頭は真っ白になりました(笑) 試験官の先生による総評は「みんな緊張しているのは分かるけど、リズムがハシりすぎ」。これはもう、全くもってその通りだと思いました。

この月…会社の業務は忙しさを極めていました。この4月からタイミングを同じくしてマネージャーに昇進をしたことをきっかけに、自分自身とチームのタスクを自らが管理しなければいけないという慣れない境遇に置かれ、うまく立ち回れず自分で仕事を抱えすぎてしまいました。身体的にも精神的にも無理があったせいか体調を崩す、という結果になってしまいました。

5月

まずはゴールデンウィーク。これは割ときっちり休むことができました。ここで立ち止まって冷静になって初めて、自分が体調を崩していることに気づきます。残念なことですが、通院生活のスタートです。週1で通院しつつ週3で仕事後に学校に行くという、今思うとむちゃくちゃな生活でした。

新しく始まったバンドアンサンブルのレッスンでは、曲を決め、楽譜を手配して、どのパートを誰が担当するか決め…ということに始まり、メンバー間でのコミュニケーションに重点が置かれる内容となっていました。レッスン時間以外の練習の呼びかけを行ってくれたりと、クラスメイトの中にはかなり熱心に取り組んでくれるメンバーもいました。しかし、働きながらレッスンを受講する僕にとってはこれは負担以外の何物でもありませんでした。 僕がレッスンでやったらおもしろいのではないか、と提案したものもありました。しかし、それを実際にやってみるとなるとまた別の次元の苦労があったのです。バンドは人が集まってやるものです。会社での仕事も同じ。メンバー全てが自分の思う通りにプレイしてくれるわけはありません。

月末には、4月にオーディションを一緒に受け、同じギター・ゼミを受講していたクラスメイト(年上で、自分と同じで社会人でありつつ学校に通っていた兄貴的存在)が、関西に転勤するため退学することになりました。同じクラスの中で唯一、自分と同じ社会人組のクラスメイトだということもあり、かなり寂しく感じました。最後のレッスンの後では、クラスメイト全員に声をかけ「兄貴を送る最後の晩餐」を催しました。兄貴、関西に行っても元気でね。

6月

1ヶ月の通院のおかげもあり、体調も落ち着いてきました。

ふと気づくとバンドアンサンブルのレッスンの練習にばかり腐心しており、4月から受講しているギター・ゼミのレッスン内容を全くもって消化できていないことに気づきます。バンドアンサンブルはメンバーとやるもの、自分が練習していかなかったらメンバー全員に迷惑がかかる。なので優先度はどうしても上がってしまいます。しかしよく考えてみると、ギター・ゼミのレッスン内容は非の打ち所が無い程に素晴らしい内容であり(講師が本当に素晴らしいミュージシャンであり、先生なのです)、それを全力で吸収しないと本当にもったいことになってしまう、ということに気づきます。

そう思った次の日、会社に行く前に学校のオフィスに行き、バンドアンサンブルレッスンの辞退を申し込みました。バンドアンサンブルのクラスメイト、及び先生には申し訳ないことをしました(来週、詫びを入れて来ます)。これで学校通いは週2日ということになります。週3日通っていたときよりは、本当に気が楽だし、打ち込むべきテーマも明確になりました。

これから

まだ学校に通って3ヶ月、という気もしますし、もう3ヶ月、という気もします。この3ヶ月間、いろいろなことを学んだし、吸収したし、失ったし、体験しました。学校に行く、人から教えてもらうという体験を通じて、本当に貴重な経験をしているという実感があります。これは一度社会に出てみないと分からないものだろうと思います。 実際、社会に出る前の学生の自分では、この感動は全く味わえなかったに違いないと思っています。人からものを教わるという尊さ、有り難さは、自分が教える立場にならないと、分からないのです。

余談ですが、自分の父は高校教諭をしていました(今は定年退職済み)。そのことを学生時代の恩師に話したときの一言が、今でも忘れられません。

「学校の先生?最高のクリエイターじゃん。(次の世代をクリエイトする職業だろう?)」